どう生きるかは、この手の中に

何をどうしていくのか。
私はどこに向かいたいのか。

最近、その答えがやっと見つかった気がします。

私の人生におけるキーワード、音楽と言葉。
20代を音楽に捧げ、30代を間近に執筆業にたどりついた。

そんな私の最近のテーマは、「これからをどう生きていきていくのか」でした。これは同時に、「これまでやってきたこと」にどう答えを出すのか、という問いでもありました。

同じように今に悩む人へ。
この場所が、変わりたいと願う人のよりどころになれたら。

そんな思いでこの記事を書きました。

やめるのか、続けるのか。

悩みの種は、音楽を自分のなかでどう位置付けるのか。

もともと、音楽が好きになったのは、歌詞に惹かれて。それに、歌うことが好きだったから。

ライブ活動を休止してからは、音楽を仕事にするために不可欠なアレンジを学び始めました。

数年かけて勉強をしたけど、センスは皆無。自分の不向きを痛感して、向き合い方がわからなくなり、音楽に対して心を閉ざしてしまいました。

だけど、どんなときもそばにあった音楽や歌。人生で一番大切にしてきたものを、どうやって手放せばいいかわからなかった。それに、このままフェードアウトはできない。したくない。

納得できる答えを探す中で、あらためて自分に立ち返ってみると、私にとっての音楽は、作曲やアレンジ、楽器などのいわゆる ”音” ではなく、歌や歌詞を通して伝わるメッセージ だと気付いた。

「この曲かっこいい!」この感覚はわかっても、「こんなアレンジにしたい!」は1ミリも想像がつかない。その理由をずっと悩んでいたけれど、自分の中にその感覚がないんだと認めたら、スッと肩の荷がおりた気がしました。

と同時に、私なりの関わり方もわかって。
結局、メッセージを、言葉に、歌詞にしていくことがやりたい。

ずっと「やめる」しか選択肢がないような気がしたから、これは私にとっては救いのような大きな気づきでした。

 

なにを伝えたいのか

これまで私にとって作詞は、葛藤や解消できない感情を形にする手段でした。

自分の中に募っていくフラストレーションや思いを、曲にして昇華していた。うまく話せなかったし、それしか方法がないと思っていたから。

でも、今は違う。

自分と向き合い、なりたい自分に向かっていくうちに、自分を好きになれた。大切な人もたくさんできた。旅をして、あたらしいものと出会う喜びも知った。

そうしたら、音楽がなくても深く息ができるようになっていた

そんな私が、今何を伝えられるのか。
何を書きたいのか。

その答えは、この「Me-time」がおしえてくれました。

自分を好きになりたい、変わりたいと願う人が一歩踏み出せるような曲。
それなら、今の私がつくる意味がある。
そして、心から書きたいと思う。

もともとMe-timeをつくったときに、音楽とリンクさせたいと思っていた。でも、もっと漠然としていたから、ここまでは想像できてなくて。

やっと、つくりたい景色がみえてきたような気がする。

きれいごとじゃなく、自分のために

未来は自分でつくっていける。

どこかのキャッチコピーにありそうな言葉だけど、私は心からそう思ってる。

小学生の頃、私は持病を理由に日常、普通、夢、希望。たくさんのことを諦めました。

そんなとき、うちひしがれる私に先生がくれた「何かをはじめるのに遅いなんてことはない」という言葉。

お守りのように握りしめて、いつかを待っていた。そのときがきたら、精一杯やりたいことをやろうと。

その思いがあったから、知り合いもいない東京にも飛び込めたし、自分自身も強くなれた。

そして、自分が動けば、世界が変わることを知った。どんな状況でも、諦めなければ少しずつ良くなっていくと。

とはいえ、すべての人に希望を持って!なんて、思っていない。だけど、もし現状に不足感を持っていて、変わりたいと願っている人がいたら。

自分がなりたい姿を想像してみる。どんな生活をおくりたいとか、どんな人と笑っていたいとか。

憧れている人がいるなら、その人のどんなところが好きなのか書き出してみるとか。

なんでもいい。そのちいさな行動が積み重なれば、きっと行きたい場所に連れていってくれるから。

さいごに

変わるのって難しい。
簡単には今も自分も変えられない。

何度もなんども思い直して、描きなおして、それでもまたふりだしに戻ってしまうこともあると思います。

でも、自分と向き合い、悩んだ日々はいつかの自分を必ず助けてくれるはず。

そう信じて、私も大切に毎日を過ごしたいと思っています。