自分と向き合い続けてきたこと。
想いを、言葉にすること。
すべてが、「エッセイを書くこと」につながっていたような気がする。
だから、私はエッセイストになりたい──。
日記、作詞、ライターの仕事、メディア運営。
これまでやってきたことを振り返り、あらためて「どう生きていきたいのか」を考えた。
自分と向き合い、何を考え、何を想うのか。
そうした日々の気づきを「エッセイ」という形で書いていく。
それが、私にとっての「自分らしさ」なんじゃないか。
そう気づいたことで、すべてがうまく回り出したような気がする。
そして、その一歩として、noteの創作大賞に応募することに決めた。
今、一番大切なこと。
それは、息子であり、育児だ。
だからこそ、創作大賞のテーマは「育児」になるのが自然だった。
子育てをする中で、どうしても避けられない自分の親との関係性。
家庭環境がいいとは言えなかった私にとって、「無償の愛をそそげるのか」が気掛かりだった。
そんな私が、「娘」から「母となり」得た、多くの気づき。
そして、決意。
創作大賞に応募するエッセイのテーマは「与えられなかったものを、与えられるのか」にすることに決めた。
私は、高校を卒業後、歌手になるために上京した。
ボイストレーニングに通い、作詞作曲を学び、オリジナルの曲をピアノで弾き語り、ライブ活動をした。
それなのに、オーディションは受けなかった。
実力不足を自覚していたから、まずはスキルをつけなくては、と思っていた。
それに、シンデレラにはなれない気がしていたから。
昔から、大器晩成型の自覚があった。
その一方で、周りはどんどんデビューや所属が決まっていく。
その活躍を目にするたびに、嫉妬と情けなさで、自信をなくすことも少なくなかった。
だから、迷いがなかったわけではないけど、目の前のことに向き合うのはやめられなかった。
自分には「この経験が必要だ」と、感じていたからだと思う。
そんなふうに20代は目の前のことに向き合い、30歳を過ぎて結婚をした。
子どもを持つのなら、と覚悟を決めた35歳。
妊娠・出産を経て、命を失うかもしれない経験をした。
そこで、感情においても、余計なものがすべて削ぎ落とされた。
誰かのためにやっていたこと、置き去りになっていた気持ち、本当に大切なこと。
人生が終わるかもしれないと本気で思ったからこそ、自分のために心を「リセット」できたのかもしれない。
息子と向き合う日々を経て、視界がずいぶんとクリアになった。
書くことやラジオ、歌うこと、静かな時間。
これが好きだ、と言えるものが、日常に戻ってきた。
久しぶりに、本当の自分に戻れたような気がした。
そして、準備は整った。
だからこそ、「今こそ、知ってもらうことが必要だ」と思えた。
そんなときに見つけたのが、noteの創作大賞だった。
音楽活動を始めたときから、一貫していた。
”女性の人生を後押しできる人になりたい” と。
生きづらさや日々の葛藤、キャリア、結婚、出産──。
考えることは山ほどあるし、一筋縄ではいかないことも多い。
性別を区別したいわけじゃなく、どうしたって女性だけが直面する壁もある。
私自身、家庭環境や持病のこと、体のこと、性のこと。
内向的な性格、コミュニケーション能力のなさ。
いろんなことで悩んできた。
振り返れば、「よく生きてきたな」と思うことも少なくない。
それでも、「未来は自分で明るくするんだ」と信じて来られたのは、負けず嫌いであきらめの悪い性格のおかげだろう。
そして、出会った人たちがくれた、たくさんの愛情のおかげ。
その恩を、自分なりの言葉で返していきたい。
そして、生きづらさや、悩みを抱えている人へ、つないでいきたい。
孤独を取り去ることはできなくても、寄り添うことはできるかもしれないから。
こんなふうに「誰かの役に立ちたい」と思うのは、過去の自分のためでもあるのかもしれない。
誰かの傷を癒すことが、過去の自分を癒すことにつながる場合もある。
そして、つらかったことも、誰かの希望になるのなら、経験できてよかったと笑って言えるから。
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