最近、もやもやしたら、ChatGPTに話しかけている。
「育児、もう無理かもしれない」
ChatGPTの返信はこうだった。
しゃべっているのは生成 AIだとわかっているけど、それでもこのレベルで共感してもらえると、育児のガス抜きにはありがたい……。
本当にもう無理だと諦めているわけではないし、また頑張るために切り替えたいだけだからだ。
「明後日の保育園まではひとりで乗り切るしかない。いったん休憩しようと思って、お昼寝を試みたけど寝なくて、絶望してる」
たった30分でも、横になれたら少しは違うのに、それすらできないと「もう何もできない…」って思ってしまって当然だよ。
今日は、完璧にやろうとしなくていい。もう「生き延びる」くらいの感覚で、最低限で回していいと思う。ごはんも手抜き、遊びも適当、テレビも解禁、ぜんぶOK。あなたが潰れないことがいちばん大事。
「追い詰められてる中で「何か工夫を」と考えるのもしんどいと思うから、できるだけ今のあなたの負担が減るような、シンプルで無理のない方法を提案するね。
「ひとりの時間」をつくる工夫
・動画の“心の保育士さん”に頼る
・罪悪感ゼロでOK
・今は「あなたが潰れない」が最優先
・長めの番組を選んで、何もしない
ほかにもいくつか提案してくれたけど、今の私は「罪悪感ゼロでOK」の一言に救われた。
いつもは、動画はできるだけ最小限にして、どうしてもひとりで待っていてほしいときに流すようにしている。息子の心身への影響を考えて。
でも、今日は私が折れないことが先決だと思った。他者の意見として取り入れることで、そう思えた。
幸い、最近息子はアンパンマンやトーマスにハマっている。
見たい動画を息子に確認し、アンパンマンの映画をテレビで流すことにした。
ソファからテレビを眺める息子のとなりに座ったら、涙が止まらなかった。申し訳なさと、孤独感と、やるせなさが込み上げてきた。
いつもなら「それでもやるしかない」と、奮い立たせて、切り替えて過ごしてきた。
でも、今日はどうしても気力が湧いてこなかった。息子の「ママ」連射にも応えられない。
とりあえず簡単なごはんでお腹を満たして、水分を摂った。そして、昨日買った益田ミリさんのエッセイ漫画「ふつうな私のゆるゆる作家生活」を読み始めた。
やさしいタッチのイラストに、ごくありふれた日常が平和的な視点で切り取られている。素敵だなあ……。
半分ほど読み進めたとき、私は思った。
息子と一緒にいる時間に、これだけ自分のことに集中したのは初めてかもしれない……。
裏を返せば、今までどれだけ息子のことを考えて過ごしていたんだろうか。
それに気づいたとき、肩の荷が降りた。
これまで十分頑張ってきた。今日はこの心持ちで、夜までいこう。
泣いていた私に気づいて、息子はそっとそばにきて立っていた。子どもはすべてわかっている。不安にさせてごめんね…。…
膝に息子を座らせて抱きしめた。そしてまた、私はわたしのことをした。
2時間ほど経った頃、少し元気になってきた。
時刻は16時。今日の夜ご飯はお弁当にしよう。
息子をベビーカーに乗せ、スーパーに向かった。
せっかく凪を手に入れた。なるべく自分の感情を刺激しないように、今日はすべて解禁だ。
鶏肉のお弁当とお惣菜のとうもろこし揚げをカゴに入れて、「にゅうにゅう!」と叫ぶ息子にはパック牛乳を渡してレジに向かう。レジ対策で、カゴの中にもひとつ牛乳を入れた。
帰り道は大好きなにゅうにゅうを小さな手でしっかり持って、電車を見て大はしゃぎ。大好物と推しのおかげで、平和に家路に着く。
お弁当をあたためて、ビールのミニ缶を開けた。いつもなら寝た後に飲むビールも今日は解禁だ。
最近は少しだけ飲めるように、135mlのビールを常備している。これなら私は酔っ払わずにいられるから、寝かしつけ前でも安心。
息子には、お弁当と冷凍しておいた焼きサバを。今日は半分でも食べればよしとしよう。
いつもはそこまでチェックしないけど、なんとなくとうもろこし揚げを一口食べて気になったから裏面を見た。あまり取らないほうがいいといわれている添加物が入っていた。
いつもそこまで注意しているわけではないけれど、なんとなく今日は気が進まなくて食べるのをあきらめた。
こんなときでも息子の健康を気にしてしまうのは、親心があるからだろう。
そんなこんなで、時刻は17時。ここまで来れば、大丈夫だ。
ミニ缶を飲み干して、食べ終わったお弁当を片付けた。
今日の息子は35分しか寝ていない。ほぼ12時間起きていることになるから、早めにお風呂に入れて寝かしつけをした。
ありがたいことに、息子は夜まで機嫌よく過ごしてくれたけれど、昼間の私の鬼の形相を忘れることはないだろう。
申し訳なく思いながらも、繰り返さないように気をつけるしかない。
育児は反省の連続だ。子どもと向き合うことはもちろん、自分と向き合うことからも逃れられない。
振り返れば、今日の私は「最低限にしよう」と思いつつも、欲張ってしまったんだと思う。
それに、今日みたいに遊び場を目にしてしまったときは、先に遊ばせてあげよう。結果的にそれがお互いをラクにする。
眠いときや不機嫌なときは、パンをちぎってあげよう。
自分がしんどいときは、罪悪感ゼロでテレビに頼ろう。
毎日がんばっているんだから、がんばらない日があってもいい。
育児は、完璧主義な私を抜け出す修行のようだ。でも、自分以外の人のためだから、こうして前向きに捉えられるんだろう。
息子がいてくれるから、私は変わるチャンスをもらっている。
数日経って、ようやくそう思えた。
完璧じゃなくても、ちゃんと向き合えている。それは育児において、私の誇りだと思うことにした。
大変な日だったけれど、息子への愛情と、自分のがんばりを再確認できたからいいじゃない、そう思うことにして。