ないものを数えるよりあるものを愛せたら

お気に入りのお店でのランチ、気分をあげるためのショッピング、友人との時間。私たちの毎日に彩りをくれていたものが、非日常になっていく。

1日の楽しみに寄っていた花屋も、昨日からおやすみになってしまった。

なんの疑いもなく、なんの隔たりもなく過ごせていた日々は、とても幸せだったんだと気づく。

 

こんな風に「失ってから気づくこと」が多いのは、知らず知らずのうちに「ないもの」を数えてしまうからなのかもしれない。手のひらいっぱいの幸せを持っていても、隣の芝が青くみえるように。

欲を持つのは悪いことじゃない。欲望があるから、学んだり努力したり、進化もさせてくれる。

だけど、今あるものをめいっぱい愛せるようになれたら、もっと幸せを感じられるのかもしれない。

 

私は小学生のとき、学校の体育や習っていたダンスにドクターストップがかかるという経験をしました。そのとき、日常が突然奪われることの悲しみと、未来に希望を持つことができない悔しさを知りました。

はじめは受け止めきれずに、まわりを羨んで「どうして自分だけ…」と悩んだ時期もありました。それでも起こってしまったことは変えられません。

みんなとの運動の時間も好きなダンスも踊れなくなってしまったけど、入院する日々が続くわけじゃない。体に負荷をかけなければ、みんなと同じ生活ができる。

すぐに切り替えることはできなかったけれど、未来への希望を捨てないことが、私にとっての「足りないもの」への最大の反抗だったのかもしれません。

 

状況は違っても、誰にでもうまくいかなかったり悔しかったりした経験があるはず。そんなときに、足りないものだけを見つめていたらきっと心は悲しみや嫉妬に支配されてしまう。

どんなに満たされているように見える人でも、すべては得られない。そして、自分と他人は生きてきた過程や経験もちがう。

それを理解して知ることは、諦めではなく、幸せを感じられる心を養うことにもつながるんじゃないかと思います。

誰だって、視点や考え方を変えれば、日々に幸せが散らばっている。もし、見当たらないのなら、好きなものをかき集めて自分のための景色を作ればいい。

そうやって日常を楽しむ心が持つことができたら、どんな人の明日もやさしい日になるのかもしれない。

そんな風に、読んでくれた人の日常がやさしい世界で包まれるようにと願っています。

Follow us.