ないものを数えるより、あるものを愛せたら

お気に入りのお店でのディナー、大切な人と出かける旅行。私たちの毎日に彩りをくれていたものが、非日常になっていった。1日の楽しみに寄っていたあのお店も、昨日からおやすみになってしまった。

なんの疑いもなく、なんの隔たりもなく過ごせていた日々はとても幸せだったと気づく。

こんな風に「失ってから気づくこと」が多いのは、知らず知らずのうちに「ないもの」を数えてしまうからなのかもしれない。手のひらいっぱいの幸せを持っていても、隣の芝が青くみえるように。

欲を持つのは悪いことじゃない。欲望があるから、学んだり努力したり、進化もさせてくれる。だけど、今あるものをめいっぱい愛せるようになれたら、もっと幸せを感じられるのかもしれない。

 

少し個人的な話になってしまうけれど、私は小学生のときにみんなと同じ暮らしができなくなってしまいました。持病が悪化してドクターストップがかかったことで、あたりまえの日常が突然奪われました。そのとき、未来に希望を持つことができない悔しさを知りました。

はじめは受け止めきれずに、まわりを羨んで悩んだ時期もありました。でも、起こってしまったことは変えられない。受け止めなくちゃいけない。すぐに切り替えることはできなかったけれど、未来への希望を捨てないことが、私にとっての「足りないもの」への最大の反抗だったのかもしれません。

 

こんな風に、状況は違っても、誰にでもうまくいかなかったり悔しかったりした経験があるはず。そんなときに、足りないものだけを見つめていたら、心は悲しみや嫉妬に支配されてしまういます

無理にポジティブになる必要はないけれど、視点や考え方をすこし変えてみるだけで、景色は色づいていくかもしれない。もしかしたら、いつか状況は好転するかもしれない。だから、希望を捨てないことが、希望につながる道になるとと私は信じるようにしています。

 

つらいときこそ諦めじゃなく、幸せを感じられる心を養うことができたら、きっと何が起きたって大丈夫。きっと、明日はやさしい日になる。

ないものを数えるより、今あるものを愛していけたら。